あらまし
原峠保養園(現:森の家 はらとうげ)は昭和17年小児結核診療所として創設された後、昭和23年児童福祉法に基づく虚弱児施設として再発足し、平成10年に児童養護施設と時代のニーズに合わせて移行してまいりました。
「自然の中から自然に子どもを育てる」を理想とし、80年の長きにわたり、自然豊かな場所で、心豊かに育って欲しいと願いながら子どもたちを世の中に送り出してきました。
令和2年には7~8人の小規模ユニットに全面改築し、子どもたちがより安心安全に暮らせる家となれるよう努め、医療機関とも連携を保ちながら自立に向けての援助も行っています。小規模ユニットは4つあり、創設者である松井鳳平先生作詞の園歌から「ひかり」「あおば」「さくら」「めぐみ」という名前をもらっています。
また、令和6年4月、森の家 はらとうげと同じ学区内に地域小規模児童養護施設「倉沢ホーム」を開設しています。
施設案内
施設詳細
①多目的ホールひだまり
園の子どもたちがいっしょに食事ができる場所となると同時に、地域の方々と交流広場も兼ね、さまざまなイベント、企画を開催するホールとしても利用。②居室(ショートステイ)
保護者が病気等により家庭において、養育が一時的に困難となったときや母子が緊急一時的に保護を必要とするときに、お世話できる専用の部屋。③自立訓練室
入所児童が社会に巣立つ前に、生活知識を学ぶため、一人暮らしの体験を行う部屋。子どもたちは一定期間、自分で炊事、洗濯など身の回りのことはすべて自分で行い、学校へも登校。④親子訓練室
入所中の児童が保護者と宿泊等をしながら、家庭生活への復帰を訓練できる部屋。キッチン、浴室、洗面所、トイレなど一般家庭と同じ設備を備えています。⑤LDK
各ユニットに設備。TVを観たり、日々の食事、食後の余暇を穏やかに過ごせるスペースです。⑥居室
児童には個室および2名1室のプライベートスペースが確保されています。窓から豊かな四季の自然が堪能できます。⑦子安地蔵
昭和33年(1958)に設置。当時は次のような言葉が彫られた額が掲げられたとのことです。『大地万有包容浄化乃地蔵也』
⑧ゆめのあと(石碑)
創業者の鳳平先生と、身寄りのない子ども達の遺骨が納められた石碑です。 「松井無為」「1955年4月」と刻まれているこの石は、原峠の山中、桐の畑にあった大きな自然の石を園児たちが力を合わせて引き出してきたもの。以下は鳳平先生が北信毎日新聞の記者を案内した時のエピソードです。
「これはこの前建てたばかりの私の墓だよ、ここに井戸を掘ったら五間ほど下から海底の砂利が沢山出てきた。この山の上からだ。この辺りは第三紀層で、何万年か前に海底だったのが、いつの間にか隆起して今は山となっている。大自然の悠久さに較べると、人生などはまさに一瞬の夢だ、長生きしただの短命だのといっても、そんなことは大したことではない」
「ただ子どもを育てて短い人生のよりよい連鎖を次代に引き継ぐ、それだけが我々の目的であり、任務であると悟ったからこれを建てたのだ」
「園児たちには私(鳳平先生)が先に入っているから、君たちも日本のどこにいてもこの墓にもどってきてもよいといってある」「一般の人が滅多に来ないこの峠だから、子ども達を楽しませる為に四季折々の花を絶やさぬようにしてやりたい」
「園児たちには私(鳳平先生)が先に入っているから、君たちも日本のどこにいてもこの墓にもどってきてもよいといってある」「一般の人が滅多に来ないこの峠だから、子ども達を楽しませる為に四季折々の花を絶やさぬようにしてやりたい」
⑨レリーフ(松井鳳平先生の顔)
白セメント製。高さ1.2メートル、横幅2メートル。創立者の存命中に「オヤジ」の碑を作ろうと昭和48年に卒園生が発起人になって建設した。
創業者の顔を実物大に彫ったブロンズレリーフがはめ込まれ、昭和49年4月、卒業生40名、在園生32名で除幕式が行われた。
除幕式での卒園生の祝辞より
「この像に託された園長先生の気迫と精神は、何万年といえども不滅。この目は毎年この峠を 下っていく卒園生の将来をも見つめている。われわれは園長先生のまなざしにこたえて頑張ろう」
「この像に託された園長先生の気迫と精神は、何万年といえども不滅。この目は毎年この峠を 下っていく卒園生の将来をも見つめている。われわれは園長先生のまなざしにこたえて頑張ろう」