卒園生のお便り
厳しい寒さの中、原峠の皆様いかがお過ごしですか。
私が原峠で中学校の三年間を送ったのは、もう、四十年前のことになります。山の冬は本当に寒くて、気象観測の当番の時、マイナス13度という朝がありました。スケートをして遊んだ裏の池は、凍っているでしょうか。
入園した日、原峠は圧倒されるような新緑に包まれていました。ホトトギスが盛んに鳴いていました。
今どきの言葉で言うと、引きこもりの「ヒッキー」だった私は、穴から出たモグラみたいに眩しくて不安で、カチカチに緊張していました。
その時、前園長の松井正先生がこう言われたのです。「さあ、これから覚えることが沢山あるなあ」 「・・・・・・?」 「鳥の名前や、植物の名前だよ」 「勉強の遅れを早く取り戻そう」とか 「心を強くしよう」とか言われるかと思っていた私と親は、びっくりしました。
入園して数日後から山羊当番をしました。いくら鎌を振り回しても、手に豆が出来るばかりで草が刈れなくて泣きたくなったり、仔山羊が生まれる瞬間に立ち合ったり。
それまでの生活から天地が逆になったような、驚きで一杯の毎日でした。
園の中にある学校へ通うことは、全く抵抗がありませんでした。今と同じ瓦屋根と白い壁の平屋の校舎です。
一学年が十人程の少人数でも、勉強の進度がバラバラで、時には十人を三つに分けて内容を変えての授業もありました。
秋には、理科の授業が戸外でキノコ取りに。冬の体育が牧草畑のスロープでのスキーになったり、思えば「少人数学級」で「体験学習」をしていたことになります。
初冬の松林の中で、石炭ストーブの焚き付けに使う松ぼっくりと松葉を集めながら、国語で習った詩を皆で声を揃えて暗誦した光景が、懐かしく思い出されます。
卒園の日、「本当にお陰様で・・・・」と松井正先生に母は深々と頭を下げました。
すると先生は、「いえ、私らはほとんど何もしておりません。お子さんを変えたものがあるとしたら、それは原峠の自然や、風や、鳥の声ではないですかな」と言われました。
入園の日の言葉とともに、今でも忘れられません。
その後、高校、大学を出て社会人になり、家庭を持ち母親になりました。
子育てを経験して、親の立場から原峠の園生活を振り返ると感慨深いものがあります。
これからも原峠の自然が園の子ども達の心と身体に浸みこんで、どんな子どもの中にもある「育つ力」を呼び覚ましてほしいと、心から願っております。
平田菊子(昭和45年5月~48年3月在園)
故郷
彼の恩師
あの時すでに
吾が未来
今ある我を
見透かした
この子達が
この娑婆で
如何にして
生きてゆくかを
見通した
そのために
薄氷履むより
泥ねいの
人生に耐えること
他人の柵
迷うより
神の御前に
一人立て
共に居まして
力を乞え
誡めとして
嘘をつかず
ごまかしをせず
隣人を愛せ
実は最近
どんなにそれが
難しいかが
解ってきた
何時かまた
恩師に会いに
気張らなくてよい
心の故郷を
訪ねたい
慈観
平成24年9月
古林 照房